労働者、学生、市民諸君の団結0.2
彼らが橋下知事を嫌いな理由
はてなブックマーク - 「橋下知事を辞めさせなければならない」と厳しく府政批判?JanJanニュース
どうして、彼らはああまで橋下知事を嫌っているのか。
それは、自分たちこそが正しい、自分たちこそがエリートであるということを自分に言い聞かせなければならないという、そういう強迫観念に囚われているから。
橋下知事は支持率80%なわけだが、彼らはそれをばっさりと「80%は頭が空っぽな愚衆」と言い切る。
それもこれも、むしろ少数派の20%こそが真実を知っているという確信あればこそである。
根拠はない。なぜなら、現時点では橋下知事の実績を評価できるだけの資料はこの世に存在していないからである。(どんな政治家でれ、「実績」を一年以内で評価することなど誰にもできやしない)
彼らが橋下知事を叩く根拠は、橋下知事が80%の支持を得ていることである。なぜなら、80%の人間に支持される人物は間違っているに決まっているからだ。ファシズムであり、グンクツの音が鳴り響いているのである。
戦後の新左翼運動の歴史における転換点
もともと、左翼運動ってのは、「労働者、学生、市民諸君との連帯」って大義名分を掲げて闘争を繰り広げてきたわけだが、その図式を根底からぶち壊すようなとてつもない事件が、数年前に日本で起こった。
それは、郵政解散である。
小泉内閣が奇跡的な支持率を獲得したあの時期。
そして、既得利権を破壊すると言う左翼好みなアジテーション。
左翼は、ここに見事なまでにお株を奪われる格好となった。
左翼たちが本当に嫌っていたことの動機は、小泉内閣が掲げたとされる新自由主義的な政策ではなかった。
自分たちのお株を、二つとも奪われた事に対する嫉妬だったのだ。
これにより、左翼のなかでも、いわゆるブサヨ=「新左翼」の系譜を引く者たちがネット上で生存できる余地はなくなった。
そして彼らは今、ネットという空間そのものを破壊するために、ある意味伝統的な「集会」「署名」「訴訟」といった手段へと回帰している。
あたらしいサヨク運動のかたち
彼らは、そういった旧来の(?)「新左翼」とは袂を分かち、別の闘い方を模索している状況にある少数集団と思われる。
彼らの内面には、ニューアカ或いはその周辺から引き継いだエリート意識と、母体であった「新左翼」がネット上で敗北したという恨みの記憶が交錯する。
そして彼らは、かつて「新左翼」たちが躊躇ったこと(多分、手段としては頭の中に思い描いてはいたはずだが決断には至らなかったこと)に、ついに着手した。
つまり、大衆を愚衆と罵倒することである。
そして、戦いは次のステージへ
彼らは、これまでのブサヨたちを戒め続けてきた呪いの鎖から解き放たれ、ついに完全なる自由を克ち取るに至ったのだ。
もう、我々は、愚衆を愚衆と呼ぶ事に躊躇いはない。我々は、我々を呪い続けてきた民主主義の縛鎖をついに打ち破ったのだ!
今や、彼らは、自らの同調者が少数であるというその事実そのものを武器として立ち上がる者である。
敵が多数派を占めていることこそが、彼ら少数派の強さと正しさの証なのである。
なぜなら、真実の光とはごく少数の選ばれし者に対してのみ降り注ぐものであり、彼らはごく少数の者であるだ。
だからこそ、彼らは反対者を愚衆呼ばわりする事に躊躇はない。
なぜなら、愚衆は彼らの敵であり、彼らにとっての敵は愚衆であるからだ。
ただ、意見を異にする者に対しては、愚衆と呼ばわるだけでよい。
無知にして差別主義なる者と看做すことでもよい。
彼らは、決して敵対者に対して、一体何を無知であるのかを知らしめない。知らしめる必要がない。
むしろ、知らしめてはならないのである。
なぜなら、無知なる愚衆を無知なるままに留めておくことこそ、彼らの優秀性の担保であり武器であるからだ。