人権を立てれば人権が立たず。

「子どもの権利条例」に反対する市民団体

いじめ問題

 はてなブックマーク - 広島で「子どもの権利条例」に反対の署名活動 - MSN産経ニュース
 ⇒元記事
 なんか反対派市民を叩くのがトレンドっぽいので、反対派の主張の一部を擁護してみる。


 まず、いじめを防止するためには、児童のプライバシーが「侵害」されるのは避けられないわけだ。
 考えてみればわかること。常識的に考えて、教師や大人の目に付く場所でいじめが行われているか?
 いや、教師が見ててもいじめが常態化しているというならごめん。ならばなおのこと、児童の権利とか寝言を言う前に、いじめを止めなければならんだろ。
 いじめを止めるためには、権力側(この場合、周囲の大人だったり、教師だったり、場合によっては警察だったりもする)が強制介入することになる。いじめをなくすという公共の福祉の前には、あらゆる権利一般は制限されうるから。

 それと、いじめの事実を確認する際に大きな障害となっているのは、いじめられている側の児童がその事実を隠そうとすることなんだが。
 当のいじめられている児童が「プライバシー」を主張していじめの事実を隠す動機があるわけだ。
 その理由はいろいろある。(チクッたことへの)報復が怖いとか、(チクることが)恥ずかしいとか。
 この理由を聞いて意味がわからん、と思うなら、子供の考える「理由」なんてもんはそもそも合理性のかけらもないもんだ、ってことだ。

 ただでさえ、いじめられているという異常な状況で、合理的な思考能力は相当低下していると考えた方がいい。
 大人だって、そういう状況ではまともな思考能力が働かないだろ?だから、「情状酌量の余地」なんてもんがあるわけで。

 ん・・・この条例の理念にまでケチをつけるつもりはないよ。
 ただ一点、日本ユニセフ協会へリンクを張っていることを除いてはね。