小沢タイーホ、の件で思うこと

武力革命のハンターチャンス?

 小沢の一件を受けて、「この混乱のスキに共産主義武力革命するしかない」とか吹き上げてるバカがいるらしい。そんなことを口外するようなやつが、プロレタリア独裁政権の中枢に食い込めるはずがない。
 だって、口外したら権力側に対策取られちゃうからね。

しいたけちゃんと食え!

 いゆぅとぉ、残念だったなぁ。また今度、頑張ろう!俺も、いっしょに応援頑張るぞぉ!


 以下は追記。

それはそうと、小沢という政治家は

 何から何まで昭和なわけだ。金権政治という意味では、今自民党に残ってる連中以上にその遺伝子を引き継いでいるような奴であって、そんな奴が「国民の生活が第一」とか言ってても白々しいだけだと思うんだが。

国民が(或いはマスゴミが)小沢ミンスに期待したことの正体

 ということを考えたとき、それって本質的なことなのかな?という疑問にぶちあたった。
 実際のところ、何かを期待して自民叩き、麻生降ろしといったことが行われているのか、不思議で仕方がないのだ。
 はてサヨなんかは、知的エリートたる(笑)使命感に基づき日々麻生叩き、橋下叩きに余念がない*1わけだが、その使命感の正体とは一体なんであろうか。
 どうも、事前にそういった使命感が植え付けられている気がしてならない。
 このブロイラー的使命感が、どういうわけかはてサヨたちの三こすり半な正義感と奇妙な親和を見せている。

ブロイラー的使命感と三こすり半的正義感

 マスゴミを通じて散布されるこのブロイラー的使命感と、三こすり半な正義感の、どちらが主でありどちらが従であるのか。
 それを見極めることが出来れば、マスゴミマンセーしているミンスの勢いと、それに対する個人的な違和感の関係も明らかに出来ると考えている。

*1:麻生叩き、橋下叩きという大前提の目的を共有している。人の頭脳は叩く理由を探すときだけはなぜか速く回転するものだから、なにものかを叩いているその間はずっと頭がよくなったと錯覚していることができる。この話は以前の日記にも書いている。