昨日と今日のクリップ
クリップリスト
- はてなブックマーク - 村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」 - 活字中毒R。
- はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`)フィリピン人一家の弁護士「ネット上のバッシング、一部の人たちに外国人排除の発想があるのではないですか」
- はてなブックマーク - 断念するか、期待するか:日経ビジネスオンライン
- はてなブックマーク - 「非正規切り」の新聞社を批判できぬ労働組合?インターネット-最新ニュースIT-PLUS
- はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`)大きなお友達が子供向けアニメ「プリキュア」の掲示板を閉鎖に追い込む
- はてなブックマーク - 北朝鮮 衛星発射で秋田沖など危険区域 IMOに事前通告 - navi-area26-10の国際ニュース斜め読み
- はてなブックマーク - Business Media 誠:山崎元の時事日想・出版&新聞ビジネスの明日を考える:サラリーマン記者の“情けなさ”がチラリ? 漆間氏のオフレコ発言で
Dis力と原理主義
Dis力
まずは自分のブコメから。
ひとは、Disろう!、と心に決めた瞬間から、Disるための理由をものすごい勢いで思いつくようになるんだな。こういうとき、頭の回転が速くなってるから「俺って知的エリート」と錯覚しやすい
Dis力って、いま適当に名前をつけただけなんだけど。
コメントにもあるように、DisるためにDisろうとするとき、人間の頭はものすごい速さで回転する。
その理由は、先に結論だけ言っておくとオーバーヘッドがかからないから。
普段よりオーバーヘッドがかからなくなるから、なんだか頭がよくなった気分になる。それだけ。
オーバーヘッド
では、オーバーヘッドの正体は何か。
それは、関係性でありコミュニケーションの介在そのものである。
関係性やコミュニケーションが介在するのは、自分のほかにだれか別の人が関わっている場合だ。
自分で自分に向かって党派性をアピールするのとは違い、他人へのアピールと言うのはなにかとオーバーヘッドがかかる。
党派性
党派性とは、「私って○○な人じゃないですか〜」といった立場表明のことである。
○○には、憂国烈士でも平和主義者でも何でも入れてくれてOK。
ここで問題としている党派性のアピールと言うのは、この○○について、「我こそが真の○○、他は全部クソ」という強い態度を表明することに他ならない。
Dis力が発揮されるのは、この「他は全部クソ」を言い始めたところから。
原理主義が容易に暴走する理由
Dis力が発揮され始めると、「我こそが○○」であることを日々証明しなければならない、と思い込むようになる。
思いこむ、というところがポイント。要するに自己暗示をかけているんだな*1。
自分自身に対してついたウソを塗り固めるため、自分自身に向かっていろいろ理由を考えてはぶつけていく。
これは、自分対自分の「コミュニケーション」とでも言えばいいのかな?
とにかく媒介がないのでそのぶんオーバーヘッドもない。頭脳の方は理由をひねり出すことに専念できる。頭がよくなったように錯覚するのはそういうこと*2。
Disるとは否定だ(当たり前)
Disるというのは、何かを否定するということだ。
何を?自分自身以外のすべてを。
で、何が正しいのか?自分自身に決まってるだろJK。
ここで村上さんが語られている「正論原理主義」というのは、【純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす】ことのようです。
そして、その「正論原理主義者」たちは、「反対派」だけではなく、言葉を慎重に選んだり、いろんな立場の人々のことを慮ったりしてなかなか口を開けない人たちを「日和見主義者」だと強く批判して押しつぶしたり、追い出してしまう。
そして、「正しさ」はどんどん先鋭化して、「異端を排除する」ことにばかり向かっていくのです。
結果的には、社会を変革することよりも、内部での「正しさ比べ」になってしまい、それについていけない人たちは脱落していくばかり。
俺よりも俺らしくないヤツラは、全員Disらないといけない*3。
最初は仲間ヅラしたやつらの中から、一人、また一人とDisる対象を選んでいく、そんなゲームがはじまる。
パラレルワールドで繰り広げられるそのライダーバトルをsurviveした者が真の勝者になる。
ライダーはただ一人いれば十分なのだ。
結局のところ
DisるためにDisるというのはどういうことか。
簡単に言うと「お前は俺じゃねぇ!」ということだ。
じつにばかばかしい日本語で恐縮だが、そうとしか表現のしようがない。
俺とお前は別物。かつ、俺が正しくお前は間違いである。
ここに、「正しさ」という基準に基づく上下関係が成立する。
「正しい」「知的エリートな」俺と、「間違いで」「愚民な」お前の二つの関係性である。
意識は、どこまでも自己に向かって閉じていながら、その一方で唾棄されるべき他者に強く依存している。
この図式は、「学生、労働者、市民諸君」の決起を訴えた初期の労働運動から、皆殺しセクトと化した末期の過激派に至るまでずっと共通している。ただ先鋭化し、純化し、少数化したに過ぎない。
差別問題を自己宣伝に利用する輩
これはひどいプロ市民。その命、神に返しなさい!
これはひどい逆ギレ
これ「も」か。
ある日、ひとりの女性が難題を自力で乗り越えられず、講師に教えを仰いでいた。それがまたたく間に講師への苛立ちに変っていく様を、9人の生徒が聞くともなしに聞いていた。
「なんでこうなるんでしょう?」
途方に暮れながらデスクトップを睨みつけ、講師に問う女性の気持ちは私にもよく分かった。私もまたパソコンには「なんで?」の連続だったからだ。女性は続けた。
「何がわからないかを一から説明するのは大変だから、先生、見て、判断してください」
(中略)
女性の苛立ちはマックスに達したようだ。
「ああ腹が立つ。この画面を見て、どこがおかしいのか先生なんだからわかるでしょ。私がわからないところがどこか、見てわからないんですか」
でもよこたんの毒電波が弱くてしょぼーん。
Disってない。Disってなくなんかなくない。
ハケン切り報道がなんだかあっさりと収束に向かっている件
- 「非正規切り」の新聞社を批判できぬ労働組合?インターネット-最新ニュースIT-PLUS
- 新聞労働者約2万7000人が加入する産別労働組合・新聞労連。その機関紙「新聞労連」2月1日号が、ある新聞社で起きているアルバイト社員の雇い止め問題を報じている。紙面で「非正規切り」を重大な社会問題として報じていることとの矛盾を団交で問うと、編集局長は「経営と紙面は別」と言い放ったという。
- 平和・人権といった活動には熱心だったが、若手の問題や非正規の雇用問題に真正面から取り組んできたとは言えず、付け焼刃の印象はぬぐえない。
- 産業再生機構の元COO冨山和彦氏は、その著書「会社は頭から腐る」で20代後半から30代前半の非正規社員が多い世代、いわゆるロストジェネレーションが生まれた要因を「カイシャという共同体を守るため」と指摘している。(中略)未来に失望した若手社員が退社し、さらに既得権益の代弁者である中高年正社員の視点が強化されるというスパイラルが起きている。これがネット上でマスメディアの論調が共感を得ない理由の一つにもなっている。
- 連合は非正規社員の支援を運動の柱にしながらも、ベースアップを要求する方針を発表して「非正規切り捨て」「結局正社員のことしか考えていなかったのか」と批判を浴びている。
オフレコ問題
問題が大きくなって国会に呼ばれた漆間氏の答弁は、ある意味では手強いものだった。彼は、そういう話をしたとは「記憶にない」と言ってのけた。これは、自分の誤り(今回は軽率な発言)を事実としては認めないという意味だ。同時に、メディアが書いた記事はメディアの側の勝手な判断に過ぎないと言っている。オフレコとはそういうものではないのかとメディアに問うている。オフレコで話を聞いた記者達・メディア側に、それでももう一度オフレコをひっくり返すつもりがあるのかとプレッシャーを掛けつつ、「お互いの認識の違い」という“落とし所”を用意して、しかも自分のミスを公式には事実として認めない(事実がないのだから処分の対象にできない)という、ある意味では見事な官僚答弁だった。