今日のクリップ

 気が向いたらあとでちょっと整理しなおすつもり。

 この件で一気にツィートしたことは、3年位前からぼくの頭ん中でずっとぐるぐる思い描いてきたことだったりする。
 ちなみに、ぼくのツィッターアカウントは、はてなIDと同じfujiyoshisyouta on Twitter

このテの議論では、なぜか組織の階層が上に上がれば上がるほど英語が必要という議論に陥りやすい。「陥る」だから、僕の見解は反対なわけです。

広報含め、現場の末端レベルほど、英語含め外国語スキルは必要になると思う。だけど、語学は、企業の風土やビジネスを展開する土地柄とは切り離せない。

現在、世界中で活動する多国籍企業が頭を悩ませているのは「現地化(ローカライズ)」の問題ではないか。舶来品を舶来品というだけで珍重するほど甘ったれた市場など、地球上にはほとんど残されていないのではなかろうか。

つまり、階層が上がれば上がるほど日本語が重要であり英語の優先度は下がると思うのだ。通訳ならそれこそ部下にでも任せればよい。

世に言う波止場英語というもの。

近年、エリート像がどんどんスパイ像と重なって来ている気がして、ぼくは不安になる。スパイというのは、要は使い捨ての人材のはずなのだ。

きっと、どこかの(元)幹事長サンのように、自分に成り代わって手を汚す、自分のもつ権力の横取りを考えないような部下こそ、権力者にとっては都合がよいのでしょうね。

ある時代の誰か偉いヒトが、いい部下の条件に理想的なスパイ像を挙げたせいで、優秀なスパイであることがいつしか出世の条件みたいに勘違いされてしまったのではないか。