今日のクリップ

問題解決の手法(ライフハック的な何か)

原因追求と責任追及

 第48回 「なぜなぜ5回」がプロジェクトの雰囲気を悪くすることも:ITproを読んで思ったことをつれづれと書き散らす。

 IT方面でヲチってると、バカにバカといっていいとかよくないとか、そういう話でちょっと盛り上がってる。
 まあ、いつもどおりの平和なみなさんでつね、と言って流してもいいんだろうが、考えてみると、これってもう少し深く考え直さないとよくないんじゃないかと思いなおした。

 ITProの記事の趣旨は、問題を追及する姿勢をとっていくと、個人に焦点を当てて問題をあげつらう流れになりやすい。
 そうではなくて、解決の糸口を探っていくようなアプローチを工夫したら、的なもの。

 バカにバカって言うのは、そういう意味では問題を引き起こした当事者を追及する姿勢ってことになる。なぜなら、バカであるということは個人に帰属するから。
 つまり、ある問題に対して、その当事者に対してバカと言うのは、問題そのものではなくてその問題の当事者個人を指弾するに等しい。
 その時点で何が起こっているかと言うと、もはや全人格の否定であって、全人格の否定以外の何物でもない。
 その問題が真実に問題であるのか否か、とか、その問題にいかに臨むべきかあるいはそのまま受け入れるべきか、とか、賢明な「大人」ならそれなりにいろいろと知恵を回すんだろうけど、そのあたりの努力が一切放棄されてしまう。
 (↑の「賢明」という表現に対応させた表現。それが「大人」であったのが妥当かどうかは、たぶん個々人の価値観が大きく関わってくると思われる。もし、この駄文に読み手が存在するなら、各自好き勝手に脳内で変換してもらいたい。)

思考停止

 問題の当事者に対して、全人格の否定、あるいは拒否という態度を取ってしまうと、そこで思考停止に陥ってしまうのだ。
 そして、一旦、全人格の否定と言う方向でスイッチが入ってしまうと、目の前の問題をブレークダウンしてみたりとか、そういったところに知恵が回らなくなってくる。

 例の、橋下府知事の仕事の件。一部のはてなーたちが異常な執念でもって今年度の黒字見込みを叩いているわけだが、あれとてもはや府知事個人への憎悪か嫉妬みたいなものがうごめいているとしか思えない。

 彼らの姿を目の当たりにしたとき、彼らはいつももっともらしく、反対する理由を言おうとしているかもしれない。
 だが、それらは反対のために反対する理由を見つけ出してきているためだ。
 反対のために反対する理由を見つけ出すことにかけては、人間は誰しもすぐに達人となれる。別段彼らの資質が秀でているということではないので、誤解してはいけない。

 彼らは、反対のための反対をするために、必死で理由をひねり出そうとする。
 だから、その間はものすごく頭が回転しているような気がしてくる。
 そのため、反対のための反対の理由をひねり出そうとする人間は、常に自らが優秀な人物だと錯覚しがちである。
 そう錯覚しがちなため、反対のための反対を唱える人間は、しばしば自らと主張を異とする人間を罵倒することを厭わないという態度を取る。

 だが、反対のための反対をする理由をひねり出したとして、それが一体何に貢献しているだろうか。
 自己満足以外の何物にも貢献していないのだ。

 【あわせて読みたいはてなブックマーク - はてなブックマーク - 「バックアップすればよかった」という指摘に「だろバカ」は余計 - T-O
 なぜかメタブクマをターゲットしていることの理由は聞くな。

プログラマーの価値

 ム(マ)の存在意義について、宗教戦争(言いすぎ)みたいなことが起きてるらしい。
 二つの宗派について、RSSからざっくりと拾えるだけ拾ってみた。
 もちろん、実際に世に送り出されてるエントリーはこんなもんじゃない。もっとたくさんある。

高楊枝派と算盤派について

 高楊枝ってのは、「武士は食わねど高楊枝」から取ってみた。算盤ってのは、時代劇でよく見かけるお役人さんの仕事っぷりのことを指している。

 武士道って言葉は、時代や境遇、状況に応じて都合よく解釈される「魔法の言葉」であって、ある意味欺瞞やズルさの巣窟みたいになってるってのが本当のところ。
 武士道って言ったら、今だったら義理堅いなんてイメージがついて回るかもしれないけど、武士道と言う言葉にそういうイメージがついて回るようになったのは江戸時代になってから。
 戦国時代の武士なんて、裏切りなんて日常茶飯事だったわけで、義理立てして死んで行く武士に対しては、少しは賛辞を送る人間も居ただろうけど、大多数は冷ややかな目で見てた。

 人によって意見が割れてるのって、要は、個々人が「プログラマーってこうあるべき」みたいなイメージがあるんだけど、そのへんのすりあわせなしにとりあえず「共有」しているふりしちゃってるから。
 ホントは「共有」する意味も、必要もないんだけど。
 それぞれが、自分の都合のいいように「プログラマーとは」という意見を述べてるだけだから、じつはこの一連の流れ、論争にはなってない。