私にはわかりかねること

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090302194643
 を読み、日頃のはてな村界隈の出来事を振り返ったとき、どうしても理解に苦しむことがある。

はてな」を使っていて思ったこと

共通性と関係性

 たとえば、「はてな」というシステムを使っているという、ただそれだけの共通点をもって、名指しで罵倒できるような関係性が構築されていると言えるのだろうか。
 っつーか、よく知りもしない相手をそんな簡単に罵倒できるもんだなと。ネットという隔壁で仕切られ、決して交わることのないとわかっている相手であっても、私は罵倒という行為には二の足を踏む「怖さ」を覚える*1のだが。

対人的な距離感覚が狂った人間

 このエントリーで問題になっている「非コミュ」の問題もそうなのだが、対人的距離感覚が狂っているとしか思えない部類の人間が、この世には存在するのだ。
 ここで言う対人的距離感覚というのは、あくまで私にとって落ち着く距離感覚にすぎないのだけれど。

何というか、とにかく気持ち悪いのだ

 距離感としては、知らないオッサンと全裸で体をクネクネさせつつ皮膚と皮膚をこすりつけあうくらいの気持ち悪さ。
 しかもそのオッサンときたら、人の顔面めがけてタンを吐きかけてくる感じ。

その罵倒は世界を救うのか?貧困を救い、旱魃を潤すものなのか?

 わざわざ汚いタンを吐きかけるためにIDコールなんてことをする、その理由は何だ?
 お前らの吐くそのタンは、世界を救うために何か役に立つものなのか?
 というか、お前ら、対人的な距離感覚が狂ってるぞ。

まとめ

 以上が、私がIDコールを使用しない理由。
 とはいえ、悪意のない、DisりのためのDisりではないIDコールについては、返答はしないけど星を一つお返しすることにしてる。
 一方的に私の流儀を押しつけるのも悪い気がするので、まあそれくらいのことでご納得いただきたいといったところの話である。

*1:いや、ここには一つの留保がある。「対話が成立しうる」と十分に期待できる相手を罵倒することに関しては、である。罵倒とは、対話の拒否に他ならない。最初に罵倒を仕掛けた側の者は、罵倒した時点で議論のテーブルを降りているのだ