こぶしで語り合うこと(但しネット上で)

こぶしというフィジカルな言語

 そもそもそんなことできんのか?
 と、いきなり記事のタイトルを否定してみる。
 じつはこれで話が終わってしまったりするのだが。


 こぶしで語り合う。肉体言語とでも言うのかな?
 「ぶん殴るぞ」とか、「オンドゥルケンカウッテンディスカ!?」みたいな、フィジカルな文句が踊るネット空間の不思議さ*1ったらない。
 そもそもどうやって「ぶん殴」ってみたり、ケンカしてみたりとかするんだろうか。
 目の前のディスプレーを「ぶん殴」ってみたりするのか、或いはキーボードをバンバンして「要点は何なのー!?」と絶叫する?
 まさか、個人情報を突き止めて襲撃かけるとかしないよね?
 いちおう、忠告しておくけど、それって法律違反だから。

ネット上での議論について考えたくなってみた

 ネット上での議論について考えてみたくなったのは、一応それらしい理由がある。

Webで「議論」と呼ばれているのは何らかの合意(結論)を導き出すためのものではなく、「自分の言説の正しさを相手や周りにアピールする」「自分の言説の正しさを相手に認めさせ、意見を変えさせる」「相手の正しくなさをとにかく目立つように叫ぶ」「とにかく黙らせれば俺の勝ち」ぐらいの登録不要無料Webゲーム辺りと見た方が自然。

 さらっと、このあたりのエントリーを斜め読みしてみたということ。

そもそもネット上で「ケンカ」って

 ケンカっていうのは、どうしても言語化できない感情的なわだかまりがまずあって、それをお互いにぶつけあって「スッキリ」する儀式みたいなもんだ。
 だから、

  • お互いに「分かり合いたい」という目的を共有していないといけないし、
  • 肉体的・精神的に著しい格差があってもいけない。

それと、これが一番大切な条件なんだけど、

  • (昨日もエントリーしたように)双方の間に著しい温度差があってもいけない。

 これらの条件が満たされていない場合はどうなるか。

  • 肉体的な格差がある場合は、「(弱い者)」イジメ」の要件が成立する。
  • 温度差がある場合は、不意打ち、奇襲、辻斬りになる。あるいはテロルもここに含まれる。

ネット上に渦巻く「悪意」の正体

 ネット上に、こうした「ケンカ」の流儀が持ち込まれた場合はどうなるか。たいがい、問答無用で以下のような状態になるはずだ。

  • 主客の間には著しい温度差がある*2
  • 主客の間には著しい個体数差がある(ことが多い)

 晴れて、炎上一丁あがり。
 ついでに補足しておくと、主は多くの場合それぞれ個々人でしかない。客もまた個々人に他ならない。
 しかし、大抵の場合、客は不特定多数である。しかも、客個々人は自らが不特定多数の側に所属している事実を「フィジカルな形では」自覚できない*3
 本来、「分かり合う」ために行われていたはずのコミュニケーションは、かくして一方通行となる。相手は、「私」の側がより理解を深めることに関心を示していないのである。
 そりゃそうだ。主客の間では個体数が比較にならない。
 http://zoo0982.blog108.fc2.com/blog-entry-433.html

自分語りと温度差の関連、および炎上の本質

 自分語りという行為を、温度差の観点から再考してみよう。
 自分語りとは、ある相手に対して、「私のことをより深く理解してください」と『一方的に』お願いする態度である。しかし相手の側は「私」に対してはじつにクールである*4 *5

余談

 論破の基準。

 ブログの管理人が『はい、論破』と言ったとき*6

*1:リアルな空間との対比上の

*2:主は客個人のことを認識しない(ことが多い)が、客は主を認識している

*3:だから、客一人一人は常に主客一対一であるかのように錯覚しがち。

*4:そもそも、「相手」が空気のようにぼんやりとした「オーディエンス」だったり、或いは妄想の中にしか存在しない架空の人格だったりすることも少なくないんだけど。

*5:ついでにいうと、相手がアナザーアギトの場合もある。

*6:だから、ロンパールームとか言うんだけどね