2位ではだめなのか

一位であり続けることの意味

 文科省側は「技術開発が遅れると、すべてで背中を見ることになる」と防戦したが、圧倒的な「世界一不要論」を前に敗北。同研究所の理事長でノーベル化学賞受賞者の野依(のより)良治氏は「(スパコンなしで)科学技術創造立国はありえない」と憤慨していた。

 技術の世界は、コモディティな商材のシェアを奪い合う世界とは全く違うルールだ。
 どのようなルールかというと、先に「世界標準」というお墨付きを貰った者が勝者となり、それ以外は市場からの退場を余儀なくされるのだ*1*2
 先端技術の世界における「世界標準」の意味は、無人島の先占を主張することに似ている*3
 「先端であること」は、「世界標準」の唯一の条件ではないが、それを巡る競争のうえで非常に有利に働く要素である。
 スパコンがないなら、買ってくればいいじゃない、というマリー・アントワネット思考の持ち主は、そのマリー王妃が辿ったのと同じ末路を辿っていただきたい。少なくとも、市場のルールはマリー王妃を容赦なく断頭台に送り込むことだろう。

無益とも思われる技術を保有し続けなければならないことの意味

 最後に付記しておくが、現時点で、日本のスパコンが世界第何位であるかということは、さして重要ではない。
 スパコンを生産するラインを維持、保存しておくことこそが、本来必要なことなのだ。

「劣った」技術のもつ可能性、その1

 技術というものには、常に「転用」という可能性が残されている。むかしむかしのワークステーションから、PCへと「ダウンサイジング」したときのように、技術の「転用」によって新たな市場を獲得し、利益を生みだせる可能性がある。
 技術を「転用」するには、多少劣った水準であっても、それを自分自身のものとして保持しておく必要がある。そもそも技術を保有していなければ、「転用」するためのベースがないのだから、至極当然の話である。

「劣った」技術のもつ可能性、その2

 仮に、その技術が最先端のものではなかったとしても、機器の部品の製造技術や、あるいはある程度の保守技術を自分で保有しておくことには意味がある。
 なぜならば、機械はつねに故障しうるからだ。ある程度のメンテナンスを自前で行える技術を持っておくのと、そうしたノウハウをまるごと外国から買ってくるのでは、コストの面でも可用性の面でも大きな差が出てくる。
 メンテナンスをある程度自前でこなすのと、完全に外部に委託するのとは、ひとつの決断を要する問題であり、答えは一つではない。
 但し、一般論として言えることは一つある。自分たちが強みとしていこうとする分野について、その機能を外部に委託することは、多くの場合誤った判断であるということだ。

*1:ふたたび、市場に参入することができるのは、その最先端技術がありふれたものへと陳腐化するとともに、一企業の生産ラインでは需要を満たせなくなった時点だ。そのとき、その市場は過酷な価格競争を強いられる世界へと変質しており、利益を生み出すことは非常に難しくなる。

*2:そもそも、市場から退場した時点で、再度参入するためのノウハウも失われるのだが。

*3:勿論、必要な要素はそれだけではない。